この三原発の観光タクシーコースは、(一社)三原観光協会が設定したタクシー観光コースと説明文を参考にして設定しました。また掲載している写真は、三原市、三原観光協会、(株)ビサン ゼセッションのご提供によるものです。
三原観光Aコース2時間/三原城・小早川隆景ゆかりの古刹めぐり | ||
目的地と経由場所 | 滞在・拝観・所要時間 | 見どころや、通な楽しみ方 |
三原駅(又は市内)→三原城跡歴史公園 | 徒歩5分 | 三原駅西口(隆景広場)から徒歩で三原城跡歴史公園へ。 |
三原城跡歴史公園 | 25分 | 三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋立地に建て始められたと伝わっている。現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていないが、当時は、東は湧原川から西は臥龍橋付近までの約900m、南北には約700mもの広大なものであったといわれている。この中に本丸、二 之丸、三之丸があり、櫓が32と城門が14もある大きな城で、特に天主台は広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広さである。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから、別名「浮城」とも呼ばれる。この天守台の石垣は、「アブリ積み」という特殊工法で造られ、裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜き、近世の石積形式を400年以上経た今に伝えている。 |
三原城跡歴史公園→法常寺 | 4分 | 三原駅西口(隆景広場)より西1番ガード(北)交差点を右折しすぐ左折。道なりに西進し甲山通り(交差点)を直進して、そのまま県道155号へ進む。右手の三原西郵便局を過ぎて右折し、すぐまた右折、右折をして前方左手に法常寺が見える。 |
法常寺 | 20分 | 1258年竹原小早川氏の菩提所として、竹原市新庄木村山城の西側高地に建立。本郷町新高山城北側山麓船木を経て、1592(天正20)年この地に移された。小早川隆景が死去したとき、この寺の境内で火葬され、葬儀が執り行なわれた。墓地には福島正則の家老で、三次市の尾関山の城を守った尾関石見守、隠岐守の2つの大きな墓石がある。小早川家にかかわる寺社の所領を没収されるなど苦境に陥っていたとき、所領の回復に尽くしたこの二人の尾関氏に対し、福島正則がその労に報いるため建てられたもの。 |
法常寺→宗光寺 | 約5分 | 法常寺出て右折し、先ほど来た三原西郵便局がある県道155号に戻り、道なりに東進し県道25号線(三原東城線)交差点を直進し、次の三叉路を左折して宗光寺坂に入ると宗光寺に至る。 |
宗光寺 | 20分 | 1577(天正5)年、小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため高山城内に雲門山匡真寺(現・宗光寺)を建立した。その後、三原城築城の際、匡真寺を城下の西側を守る砦も兼ねこの地に移した。1600(慶長5)年に福島氏の支配下となり、雲門山匡真寺は曹洞宗に改め、泰雲山宗光寺と改称された。宗光寺の山門は、匡真寺移築の折、共に移築された新高山城の旧正門である。宗光寺の石門を入り土壁に囲ま れた広い石段を登ると、桃山風の重厚圧、豪快な構えの山門がそれだ。この山門は四足門の切妻造り、本瓦葺 きの桃山時代の建築で、昭和28年(1953年)に国の重要文化財に指定されている。この寺には福島正之の墓、浅野忠長(城主2代)の墓などがある。 |
宗光寺→大島神社 | 約2分 | 宗光寺から110m先の三叉路を左折し、妙正寺坂 に向かう。左折して妙正寺坂に入ると左手の大島神社へ。 |
大島神社 | 15分 | 三原城は、大島、小島をつないで造られたが、その大島(天主台の位置)にすでにあった大島稲荷をお城の鎮守とした。また、小早川隆景が九州の陣中にいたとき、毎日祈願していた厳島神社を城中広間の庭に祀っていたが、これを福島時代にこの両社を併せてこの地に移した。境内西隅には、お城の小島にあった小島稲荷や隆景の崇拝していた久井稲荷もここに祀ってある。 |
大島神社→妙正寺 | 約1分 | 大島神社から南東に進んで妙正寺坂に向かう。妙正寺坂との交差点を左折すると前方左側に妙正寺が見える。 |
妙正寺 | 20分 | 三原城主浅野家の菩提寺として、1674(延宝2)年東町米田山の麓に創建された。ところが、当時の山陽道から墓が下に見えるという理由で、僅か20年ばかりで現在の地に移された。現在の地は、当時 敵が占拠した場合、戦略上不利益になると反対があったほど城と城下を眼下におさめられる要所で、瀬戸内海の島々から遠く四国連山まで見える眺望絶景の地だ。 | <
妙正寺→三原駅 | 約3分 | |
合計所要時間 | 2時間 |